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2016年9月18日 (日)

「世界経典」の真実 ①序奏 死んだらどうなる

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     (宗教は登山口は違っても、頂上は同じ・・・マハトマ・ガンディー)

序奏 死んだらどうなる

・・・・有神論、無神論に関わらず同じ状態だと私は思う。

こういうことを書くと、物的には同じでも、霊的にも同じだ、違うのだといろいろ言われる方もおられる。 論争しても霊的世界は検証できない世界なので、何も生み出さない。

むしろ、どう生きるかを議論した方が、実りは大きいと思っていた。

しかし、社会的問題のある宗教は、死後の世界の議論を放置するどころか、霊界、地獄の世界の作り話をまことしやかに説明し、先祖の因縁などで呪縛の奴隷的精神を作り上げ、結果、信じた人の理性的判断を奪う。

であるがゆえに、一歩踏み込んで考えてみたい。

死んだらどうなるという質問に対して、宗教に対する信仰がなくとも、「神のみぞ知る」と答える人の中には、私のように138億年前のこの世界の始まりに関わった物理現象の何か、未だ解明されていないが少しづつ解明されつつあるところの何か、それを「神」と呼んでいる人もいるのではないだろうか。
それは霊的なものを持たない存在として「何か」を「神」として表現しているに過ぎない。それは、未だ解明途中の唯一の真理のあるところ。

新興宗教の中でもカルトと言われる宗教の教義は、このことを物的世界だけではなく、霊的世界の真理として信じこませてしまう。

既成宗教に魅力を感じなくなった人々は、そこに、大きな罠が仕掛けられているとも知らず信じてしまう。

なぜ既成宗教に魅力を感じないのか。とくに仏教においてはその傾向は顕著ではないだろうか。「葬式仏教」とまで揶揄されまでに至っている。アマゾンで坊さんの検索ができるところまで来てしまった。

宗教には、いろいろな死後の世界がある。それぞれの信者は自らが信じた宗教の死後の世界に行くとしている。

しかし、死んだらどうなるかの答えに、それぞれが検証できない死後の世界を解説したとしても、客観的にみればバラバラである。

インドのガンジーは、宗教についてそれぞれ登る入り口は違っていても、頂上は同じだということを言っている。

頂上とは死後の世界であると考えるならば、登山口はいろいろな場所に人間が勝手に作ることができるが、山頂は宗教の割り込む余地はない、山頂は唯一つであるとガンジーは説いたのである。

そこに、付け込んだのが世界の宗教の統一を掲げた「世界経典」である。


つづく

 

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