2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
フォト
無料ブログはココログ

にほんブログ村

« 2016年10月 | トップページ | 2016年12月 »

2016年11月

2016年11月25日 (金)

2年前 世界日報にチョン・ユンフェ文書を流したのはチェ・スンシルだった!

 

連日、チェ・スンシルと朴槿恵大統領の関係が明らかにされていく中で、韓国WEBを見ていたら、2年前のチョン・ユンフェ国政介入事件について真相に迫る記事が出ていた。この事件当時、大統領府から機密文書の受け渡しにかかわっていたのではないかという大統領府の二人の警緯がいたのだが、一人は検察の取り調べ直後に自殺している。これによって真実は彼が墓場まで持って行ったかの如く見えていたが、生き残ったもう一人の警緯の証言が真相を明らかにした。

今まで私の入手した情報と合わせてまとめてみた。


チェ・スンシルとチョン・ユンフェは今、梨花大学への裏口入学で問題となっているチョン・ユラの両親でもある。


チョン・ユンフェは朴槿恵の議員時代から秘書として支えてきた人物であるとされているが、この間の報道で彼の背後にチェ・スンシルがいたことが明らかとなった。
ところが、夫婦仲が拗れ2014年5月に離婚となるのだが、離婚してもチョン・ユンフェが朴槿恵の陰の相談役(朴槿恵が大統領になるときに、彼ら夫婦および、チェ・スンシルの父チェ・テミンの過去の不正が暴かれ、彼は政治の表から姿を消したので、陰の存在となったのである)として動いていたことに対して、チェ・スンシルが怒って、彼を抹殺しようとして、世界日報に「チョン・ユンフェ文書」なるものを流したというのである。

たまたま、世界日報のオーナーである統一教は当時、文鮮明の相続税の不正や横領情報に基づき、税務当局が査察に入ろうとしていた時だけに、結果として11月にこのチェ・スンシルからの情報を流したことによって、査察を押しとどめることに成功したのである。

「チョン・ユンフェ文書」事件の発端はチェ・スンシルの妬みであったという事実に驚くとともに、その結果チェ・スンシルが最も守らなければならなかった朴槿恵を窮地に追いやることになるとは、彼女の頭脳では計算できなかったのであろう。

 

利権でしか人間関係、社会、政治を見られないチェ・スンシルという人間が、結果としてチョン・ユンフェ国政介入事件をでっち上げ、セウォル号の空白の7時間、チェ・スンシル国政介入事件と・・・韓国政治に大きな混乱と空白を作ってしまった。

そこに自らの利害を絡ませて一役買ってしまったのが統一教の世界日報だということ。


この事実を覆い隠そうと、韓鶴子が考えたのが、日韓トンネルの旗を振りである。この問題でわざわざ最近来日しているのである。

日韓トンネルは信者からみれば、金銭強奪トンネル、詐欺トンネルだともいわれている代物である。

 

チェ・スンシルの共謀者 [ 追跡 ] 2016.11.20 special economy金日英記者

http://www.speconomy.com/news/articleView.html?idxno=75281

より一部抜粋。以下機械訳

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

正閠会(チョンユンフェ)除去作戦

 

去る9日放送されたTV組ではトークショー「強敵」でカン・ミング弁護士はこのように話した。

実は、チョン・ユンフェ文書問題を起こした人物がチェ・スンシルでした。今回チェ・スンシルがドイツでインタビューした報道機関が世界日報です。二者はとても親しい関係です。その当時(チョン・ユンフェ文書問題が出た時点)はチョン・ユンフェとチェ・スンシルが離婚した時と重なり、犬猿の仲だったのです。チョン・ユンフェがパク・クネ大統領の陰で支えていることに対して、チェ・スンシルが許せなかったのです。 それでチェ・スンシルがチョン・ユンフェを除去するために文書問題を出し、波乱を起こしたのです。当時チェ・スンシルは調査も受けなかったのです

 

チェ・スンシル国政介入に先立ち去る201411月世界日報は単独で「チョン・ユンフェ文書」を報道して大統領府を恐怖のどん底に陥れた。

 

先月26日になって、世界日報はドイツ現地でチェ・スンシルを単独でインタビューした。その時、在米ジャーナリストであるアン・チヨン(安置用)氏は自身のブログ「シークレットオブコリア」を通じて、チェ・スンシルさんのインタビューを斡旋した人物が統一教ヨーロッパ総裁を永らく勤め、世界日報元社長のS氏だと明らかにした。

 

そしてカン・ミング弁護士の言及のとおりチェ・スンシルさんとチョン・ユンフェは20145月離婚していた。

 

すなわち、チェ・スンシルとチョン・ユンフェは20145月離婚をし、その間チョン・ユンフェがパク大統領の最も近い相談役であったことに対して、チェ・スンシルが許せなかったのである。そしてついに、チェ・スンシルは世界日報にチョン・ユンフェ文書を流して除去作戦に出たのである。

 

検察捜査介入…ウ・ビョンウ主導

 

三つ目の問題は、チョン・ユンフェ文書事件を収拾する過程である。

チョン・ユンフェ文書事件が問題化し大統領府は驚いた。 その間政界内外で出回った陰の実力者の正体が、まさに文書形態とあらわれる瞬間だった。

 

当時ウ・ビョンウ民政秘書官の主導でチョン・ユンフェ文書事件を収拾する過程で大統領府民政秘書官室がチョン・ユンフェ文書問題の被疑者を懐柔したという主張が提起された。

去る11日、中央日報はチョン・ユンフェ文書事件の被疑者であった一日前経緯とのインタビュー内容を報道した。

あるチョン警偉はインタビューで

「チョン・ユンフェ文書流出にかかわったとして捜査を受ける際、大統領府民政秘書官室の懐柔があった」として「2014128日大統領府民政秘書官室P行政官が連絡してきて「文書をチェ・ギョンナク警偉(チョン・ユンフェ文書事件で自殺)に渡したと述べれば不起訴も可能だ」として協力を勧めた」

と打ち明けた。

 

あるチョン警偉は引き続き「すぐに前日当てられた検察の押収捜索の時提出した私の携帯電話に保存された内容をその(P行政官)が知っていた」と明らかにした。

これはウ・ビョンウ秘書官が主導で民政秘書官室が検察の報告を受けて捜査に介入したと解釈される大きな問題である。

 

ウ・ビョンウ秘書官はこの事件を収拾した後、抗命波動を退いたキム・ヨンハン民政首席(去る8月死亡)の席を繋いで受けて大統領府民政首席になった。

 

それなら当時民政秘書官に過ぎなかったウ・ビョンウ秘書官が、どのような方法でチョン・ユンフェ文書事件の収拾を主導できたのだろうか。

キム・キチュン秘書室長は当時民政首席であるキム・ヨンハン主席に指示を与えないでウ・ビョンウ秘書官で直接指示を与えたという。

 

ウ・ビョンウ秘書官もチョン・ユンフェ文書事件を収拾する過程で自身の直属上官であるキム・ヨンハン主席を排除してキム・キチュン秘書室長に直接報告したという。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

参照

 

北風と太陽 20141213 ()

いかに情報は世界日報に渡ったのか・・チェ某警部の死により迷宮入りか(チョン・ユンフェ文書流出事件)

http://freedom-cult.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-215a.html

 

////////////////////////////////////////////////////

2016年11月19日 (土)

チョ・ハンギョ前世界日報社長の2回目の茶番劇

Photo
                                                   チョ・ハンギョ前世界日報社長

 

チョ・ハンギョという人物がどういう人物かと言えば、統一教会の脱税が疑われ税務当局が動き出した時、即ちちょうど2年前、統一教会は配下の新聞「世界日報」に政権の暴露記事(チョン・ユンフェ文書事件)を書かせ押しとどめようとした。その時の社長が彼である。


その直後、政権側と和解したのだろう。お互い知られたくない事実を隠すために統一教会側はチョ・ハンギョを一時退任させ記事の終息を宣言し、政権側は脱税調査を中断したのであった。チョ・ハンギョはその後、私の記憶では世界日報に戻されている。

この茶番劇を韓国国民は忘れてはいない。

 

そのチョ・ハンギョが、今更どの面を下げてチェ・スンシルの暴露と称してメディアに訴えに来たのだろうか。

内容としては、今までわかってきた事実から当然予想される事実ではあるが、チョ・ハンギョとしては、世界日報の2年前の不可解な終息の真相について再度あぶりだされるのを避けるために、「暴露」と称して出てきたのではないか。
そういう目線で捉えないと、今韓国国民が求めているチェ・スンシルと世界日報の関係の真相追及の世論を覆い隠すことになりかねない。私はそのことの方が気がかりだ。

公認にもチェ・スンシルが関与?…「気にくわなければ公認から落とされた」と暴露

http://news.jtbc.joins.com/article/article.aspx?news_id=NB11358496

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下、機械訳

 

公認にもチェ・スンシルが関与?…「気にくわなければ公認から落とされた」と暴露

[JTBC] 入力2016-11-17

 

いわゆる「チョン・ユンフェ(正閠会)文書報道」以後退いたチョ・ハンギュ前世界日報社長が、チェ・スンシル氏がセヌリ党国会議員公認にも影響を及ぼしたのではないかという疑惑を提起して、今波紋を呼んでいます。 チェ氏が気に入らなければ世論調査で1等であっても公認を受けることができなかったと暴露しました。

 

ユン・ヨンタク記者です。

 

 

[記者]

 

チョ・ハンギュ前世界日報社長によれば、第19回総選挙当時、チェ・スンシル氏の影響で公認から落とされたという情報提供を数件受けたとのことです。

チェ・スンシル氏の気に入らなければ、セヌリ党公認を受けることができなかったということです。

 

チョ前社長は忠清(チュンチョン)圏のある地方区候補Aさんの事例を挙げました。

お金の入った封筒とともに履歴書を持ってチェ・スンシル氏に会ったAさんはいいことだけ聞いて帰ってきたが、結局公認からは落とされたと主張しました。

 

[チョ・ハンギュ前世界日報社長/TBSキム・オジュンのニュース工場:(チェ・スンシル氏が)どのような経歴で国会議員しようとするか、封筒の中の金額を見ただけで、額がちょっと少なかったとか…]

 

また、ある有名脱北女性もセヌリ党比例代表公認が有力だったが、チェ・スンシル氏が公認させなかったという情報提供も受けたとも話しました。

 

趙前社長は「嶺南(ヨンナム)地域やソウル 江南(カンナム)、比例代表などセヌリ党候補らの当選が有力なところでチェ・スンシル氏が一部公認権を行使した」とし、「チェ・スンシル氏から公認を受けた人は今みな政界を引退しなければならない」と訴えました。

 

チョ前社長は2年前の大統領府の影の実力者報道(チェ・スンシルの元夫であるチョン・ユンフェ文書報道)以後、大統領府が統一教財団を圧迫したため、自主退職するほかに道はなかったとことを明らかにしました。

 

//////////////////////////////////////////////////////

 

参照
北風と太陽 カテゴリー 

チョンユンフェ国政介入
http://freedom-cult.cocolog-nifty.com/blog/cat69581601/index.html

 

//////////////////////////////////////////////////

2016年11月15日 (火)

韓鶴子来日???事実ならば、チェ・スンシル国政介入問題での取り調べ回避か

Photo                   以前来日の際、スケジュールの合間を見て食事をする韓鶴子



最近私のブログへの検索ワードで上位にランキングされているのが、「韓鶴子 来日」「韓鶴子 来日 福岡」「韓鶴子 日韓トンネル」である。

2013年に金孝南と極秘来日した記事へのアクセス数が、日を追うごとに多くなり昨日は一気にランキングのトップ。ブログ村を見てもそれらしき記事はないのだが・・・。
極秘来日ですかね?どなたか情報お持ちの方、教えてください。

 

福岡に来ていれば、日韓トンネルの何かのイベントも考えられるのだが、・・

 

それとも、チェ・スンシルをドイツでかくまったことでの検察からの取り調べ回避・・・。

今韓国ではチェ・スンシル国政介入問題で20万人デモ、100万人デモと連日朴槿恵退陣を求めるデモがエスカレートしている。

朴槿恵大統領の側近連中は、機密漏えいは大統領の指示だったと証言し、大統領への取り調べも浮上してきているようだ。

今回の事件、韓国国民は2年前のチョン・ユンフェ国政介入事件、セウォル号事件の謎の7時間と無関係ではないことを知っている。

2年前に統一教会系新聞「世界日報」がチョン・ユンフェ(チェ・スンシルの元夫)の国政介入疑惑を報じた事件は、カギを握る人物が取り調べ直後に自殺するなど不可解さを残したまま闇の中に葬られた。世界日報も一転して疑惑の報道を中断して、社長、記者の更迭を行ったのである。

 

今や韓国国民は、世界日報その背後にいる韓鶴子に事件の真相を明らかにすることを求めているのだ。

もし、その理由で日本に来ているとすれば、暫くは帰国できないだろう。

2016年11月 9日 (水)

世界経典の編集委員に「強姦罪」実刑判決 台湾最高裁 2016/10

Photo                        強姦罪で実刑の判決を受けた馮滬祥元議員


 

世界経典Ⅰ英語版 40人の編集委員より一部引用

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

.Fung Hu-hsiang

 Professor of Philosophy and Dean College of Liberal Arts National Central University 

Taiwan, Republic of China (Confucianism)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

フィン フーシング(馮滬祥)

リベラルアーツ国立中央大学 哲学教養学部の教授

台湾、中国共和国(儒教)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

1991年に発刊された世界経典には、編集委員として、仏教学者、バチカンの聖職者、ヒンズー教の研究者など40名の名前が連ねてある。

その中の一人、台湾の馮滬祥氏、世界経典では儒教の教授と紹介されていたが、その後議員となり、台湾の副総裁候補として名声を得るようになった。

ところがである、フィリピン人のメイドへの強姦事件が発生し、この10月に最高裁で4年と4か月の懲役刑が確定した。

台湾ニュース 2016.10.09

元議員に従業員への強姦で有罪判決

http://www.taipeitimes.com/News/taiwan/archives/2016/10/09/2003656807


文鮮明と同じ道をたどったこの先生。ウィキペディアにヒットするような先生だが、原理も学んだと経歴にあるにも関わらずこの体たらく!

世界経典の中に仏教、儒教の禁欲主義について文鮮明も称賛していると書かれてあったが、この馮滬祥氏、編集委員で儒教を紹介しながら、結果としては人間の業には勝てなかったようだ。

/////////////////////////////////////////////////////////

参照

『世界経典』出版奉献(一九九一・八・一五、出版)より引用

宗教一致運動の結実体と言うことができる『世界経典』が、一九九一年八月十五日に発刊され、八月二十七日、「世界平和宗教連合」創設大会に参席した宗教指導者と世界の碩学の前で紹介され、真の御父母様に奉呈された。世界各宗教の経典の真髄を選んで集大成した『世界経典』は、一九八五年、真の御父母様によって初めて構成され、アンドリュー・ウィルソン博士(アメリカ、統一神学大学院)が四十人の編集委員と共に、五年間にわたって仏教学者、バチカンの聖職者、ヒンズー教の学者の研究と協助を受けて出版した。総九百十匹ページ。

2016年11月 6日 (日)

二つの漏えい事件を通して見えてくる 統一教会とチェ・スンシルの不可解な関係

Photo                              鮮文大学 学生会の集会で真相究明と朴槿恵退陣を求める学生たち

チェ・スンシルと統一教会 互いに明かされてはいけない不正を守るために

今日も、朴槿恵退陣を求めて、ソウル市内は20万人に及ぶ人たちで埋め尽くされた。
その中でも若い人たちの参加も目立つようだ。
日本では報道されないが、韓国メディアの記事の中の統一教系新聞「世界日報」の活字が見え隠れしている。

表題の示す二つの漏えい事件の一つはチェ・シンスルの今回の事件、もう一つは2年前に「世界日報」がすっぱ抜いたチョン・ユンフェ機密文書漏えい事件である。

朴氏元側近に国政介入疑惑 揺れる韓国大統領 2014.12.05
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM04H7I_U4A201C1FF2000/

 この事件が起きるまでは、チェ・スンシルと統一教会の関係は、彼女の娘ユラが統一教会系の学校に通うなど悪くはなかったはずである。
朴政権がスタートしてから、チェ・スンシルはノーチェックで大統領府(青瓦台)に出入りし朴槿恵を操っていたことが判明した。当時統一教会は、文鮮明の5男国進が「強い韓国」を打ち出し、統一教会を代表して朴槿恵と交流していた。
また、今回問題となった世界日報元社長のS氏をイタリア大使に推薦しようというチェ・スンシルの企てもあったとのこと。それを見る限り、両者は良好な関係だったと言えよう。

それなのに、なぜ統一教会は朴槿恵、そしてその背後の実力者であるチェ・スンシルに対して、傘下の「世界日報」を使って2年前に脅しをかけたのか。

統一教会を脱会された在韓の日本人夫人たちや、韓国統一教会の経理部門に携わってきた信者たちはその理由を知っていた。
税務局との対立である。
それをなんとか阻止しようと2年前の世界日報の記事となったのである。

でも、よく考えてみれば、統一教会とチェ・スンシルは父親の代からの交流があり、統一教会がチェ・スンシルに頼めば解決できたと思われるのだが・・・何があったのか。

それは、未だ明らかになっていない出来事があったと考えるのが自然である。
例えば今問題になっているチェ・スンシルの当時準備しつつあった二つの財団への寄付金要請を統一教財団のグループが断ったとか。

原因は案外、そんなところにありそうだ。

それをよく思わなかったチェ・スンシルが不明瞭な統一教会の資産運営に目をつけて、国税庁を動かしかけたのはいいが、逆に「世界日報」で反撃を食らったというのが真実ではないだろうか。
結局、どちらも、明かされてはいけない不正があるがゆえに、互いに矛を収めた。そのために、今は庇い合わざるをえない関係がモンモンと存在するのではないだろうか。

そして、今回のチェ・スンシル国政介入事件である。韓国の小さなマスメディアから始まった朴槿恵とチェ・スンシルの隷属関係は、もともと陰で言われていたことが、ここにきて大手マスメディアも乗っかる形で広がった。

統一教会系「世界日報」に対する不信も広がりつつある。

2年前に収拾してしまったために、世界日報が公開できなかった7~8個の機密情報(公開すれば大統領退陣は必至と言われていた)について、国民は公開を求めている。

 

///////////////////////////////////////////////////

参照

http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002255032&CMPT_CD=P0001

 

以下、機械訳

Ohmy News 2016.10.27

「重要情報78個公開すれば、大統領退陣は必至」

     統一教はチェ・スンシル国政介入を事前に知っていたか?

2年前の「チョン・ユンフェ文書」世界日報・報道当時に信徒対策委が警告..

 

パク・クネ大統領の「陰の側近'チェ・スンシルが統一教幹部をイタリア大使に任命しようとしたが、チョ・ウルチョン当時大統領府公職規律秘書官の反対にあったという記事が27日に出てきた。

 

統一教が所有している<世界日報>がチェ氏インタビュー記事を報道した直後とチェ氏と終端の関係に対する気がかりなことも拡がっている。

2年前、統一教内部では「<世界日報>がまだ公開しなかった78個の大統領府の最重要情報が公開されるならば大統領が退陣しなければならない事態を起こしうる」という話も流れ出た。

 

 <世界日報>がチェ氏インタビューをインターネットに載せた見解は1027日午前5時頃.。在米同胞アン・チヨンさんが運営するブログ<シークレットオブコリア>は約2時間後、匿名の複数の消息筋を引用して「チェ氏がパク・クネ政権スタート直後、S氏をイタリア大使として推薦した。しかしチョ・ウウルチョン当時大統領府公職規律秘書官の反対に失敗に終わった」と伝えた。

 

ニューヨーク地域統一教幹部関係者たちによれば、夫婦であったチェ・スンシル-チョン・ユンフェ夫婦と親しかったS氏がイタリア大使に推薦されたというのは統一教内部では良く知られた話だったという。

 

消息筋は「S氏が▲ 1975年から統一教に心酔したし1993年から2003年まで世界平和統一家庭連合のヨーロッパ会長で在職したし統一教創始者である故文鮮明総裁の最側近に選ばれた人物▲チョン氏と同郷であり統一教ヨーロッパ総裁を永らく引き受けて<世界日報>社長を過ごした人物でドイツで長く居住した」と伝えた。

 

チェ氏が大統領府にイタリア大使を推薦した時点は不明だ。 だが、パク・クネ政府スタート春季公館長要人では外交官試験出身のペ・ジェヒョン外交部儀典長がイタリア大使に任命された(2013614日外交部発表). ペ大使は2年後定期人事で交替させられたが、後任大使にも正統外交官であるイ・ヨンジュンさんが任命された。

 

チェ氏の人事請負が事実であったとすれば、結果としてこれが失敗したわけだが、この過程で人事検証に参加したチョ・ウルチョン議員は未だ沈黙を守っている。

 

チョ議員はフェイスブック文を通じて「朝から記者たちの電話が殺到している。一つでもさらに確認したい記者たちの心情は十分理解するが私がいちいち応対する場合、その内容が大統領府在職時経験した事例に該当するので'、答えれば公務上秘密漏洩罪は確実だ」という 理由を挙げた。

 

2年前の統一教信徒対策委で「大統領府の超重要情報78個を公開すれば大統領を退陣に追い込むことができる」

 

「<世界日報>の、チェ・スンシル インタビューもS氏が斡旋した」という消息筋の証言も大きな課題として浮上してきている。

 

チョ議員が身を置いた大統領府公職規律秘書官室は201416日「大統領府秘書室長交替説とVIP側近(チョン・ユンフェ)動向」などの文書を作成したが、同じ年1124<世界日報>はこの文書などに基づいてチョン氏の国政介入疑惑を提起する報道をして大問題となった。

 

実は、この<世界日報>報道前後、国税庁は新聞社の親会社である統一グループ財団本部と系列会社3ヶ所に対する大々的な税務調査を進めていたのだ。

 

統一グループの税務調査と検察の<世界日報>押収捜索時(2014125)等でパク・クネ政権との対立の葛藤が高まると、すぐに「統一教信徒対策委'内部では「<世界日報>がまだ公開していない78個の大統領府の重要情報を公開するならば大統領が退陣しなければならない事態が起きるということを大統領府はよく知っている」という 話も出てきた。(ハンギョレ、2015123日午後インターネット版'キムィギョムの愚衷左道を')

 

<世界日報>の相次いだ報道でチョン氏と会ったと指摘された大統領府正号性・アン・ポングン秘書官など8人はチョ・ハンギュ<世界日報>社長と取材記者など6人を出版物による名誉毀損疑惑で告訴したが、ソウル中央地検刑事1(部長検事シム・ウジョン)は今年7月大統領府による訴え取下げで、この事件を「控訴権なし」ということで終結処理したのだ。

 

アン氏の消息筋は「2014年チョン・ユンフェ文書を<世界日報>が単独報道した時も経営陣の縮小圧力が多かった。その圧力の実体が何かは想像に任せる」としながら余韻を残した。

 

世界日報編集局記者たちは声明を通じて「2年前大統領側近飛仙(ビソン)国政壟断疑惑を最初・連続報道した後、外部の圧迫と色々な波風を体験したが、報道機関と報道の本領を守るための意志と努力は未だ健在だ」として「チェ氏インタビューは困難な挑戦であり緊迫した状況でなされた。 報道がなされるまでの過程とより詳細な内容の後続報道を準備中」と明らかにした。

 

2016年11月 4日 (金)

チェ・スンシル国政介入疑惑の背景(後編) 隠遁生活から大統領の道へ

チェ・スンシル国政介入疑惑の背景(後編) 隠遁生活から大統領の道へ

 

時代

 

1981年9月 全斗煥政権誕生。政権の朴正煕の足跡を消す方針の下で、朴槿恵は隠遁生活を余儀なくされる。

 

1985年 チェ・スンシルドイツから帰国。陸英財団理事長だった朴大統領と再会。江南区(カンナムグ)、狎鴎亭洞(アックジョンドン)と新寺洞(シンサドン)で学院(塾)と幼稚園、児童教育関連社説研究所を運営し始めた。

 

1987年 国立墓地で故朴正煕の追悼式が開かれた。

 

1988年 盧泰愚政権誕生

 

1988年 朴正熙・陸英修記念事業会発足

 

1989年 朴正熙死亡10周忌追悼行事を15万人が参拝する大々的な規模で行った

 

1989年 朴槿恵はチェ・テミンと一緒に陸英修を追慕する団体‘槿花奉仕団’を組織し、一時は全国で70万人を組織。

 

 1990年 朴正熙の業績を描いた<民族の指導者>が出版される。

 

チェ・テミンが子供会館の敷地にグンファウォン(槿花院)を建てグンファ教会を立てたと伝えている。この「槿」は朴槿恵の「槿」と同じ漢字(ムクゲ)を使っている。

 

 1990年8月 朴槿恵の妹と弟が、チェ・テミンとチェ・スンシル親子による陸英財団の専横を問題視し、妹の槿令氏は「詐欺師のチェ・テミンを厳罰し、チェ・テミンに洗脳された姉の朴槿恵を元国家元首遺族保護レベルで救出してほしい」という内容の嘆願書を盧泰愚大統領に提出した。調査によりチェ・テミンの横領発覚で育英財団混乱。朴槿恵、理事長職を辞任。

 

1993年 金泳三政権誕生

 

1994年 チェ・テミン、慢性腎不全で死去。

 

1997年 朴槿恵 イ・フェチャン新韓国党大統領選挙候補の選挙対策委員会顧問に任命される。

 

当時、朴槿恵はいとこの義兄であり朴正熙の‘同志’であったキム・ジョンピルではなく、新韓国党を選んだ。キム・ジョンピルの自民連には母方のおじ(ユク・インス)もいたし、朴正熙秘書室長出身のパク・テジュンもいた。それでも朴槿恵は自民連の誘いには乗らなかった。 多くの父の側近が裏切り、全斗煥新軍部に向かった時代に対する朴槿恵なりの返答だった。 当時キム・ジョンピルとパク・テジュンの「朴正熙の業績を継承する」という話に、朴槿恵はこのように応酬した。 「私は、父と国民が国の基礎を固めようと努める姿をそばで見守った。 しかし1980年代に入って父の業績が歪曲された時、私は沈黙したが、時代に便乗し私を罵倒した人々からの話は、自分たちの利益第一だけで、信じることはできない。」

 

1998年 金大中政権誕生

 

1998年 朴槿恵国会議員再・補欠選挙で当選。このとき、チェ・スンシルの夫・チョン・ユンフェが朴槿恵の側近として登場。

 

 2002年 パク候補が当時ハンナラ党を離党して韓国未来連合を創党、総裁に就任した。チョン・ユンフェは総裁秘書室長に就任。

 

2003年2月 廬武鉉政権誕生

 

2004年 朴槿恵、ハンナラ党の代表になるが、そのとき、チョン・ユンフェが去る。側近3人組の登場・李在万(イ・ジェマン)、チョン・ホソン、アン・ボングン補佐官。

 

2007年 ハンナラ党大統領候補党内選挙でチェ・テミンの疑惑との関係で、チェ・テミンの娘婿チョン・ユンフェがチェ家の財産形成において朴槿恵の陸英会理事長時代に便宜を図った疑いも出てきた。

 

2008年 李明博政権誕生

 

2013年 朴槿恵政権誕生

2014年2月 チェ・スンシルとチョンユンフェ離婚

2014年4月 セウォル号大惨事

2014年8月 セウォル号沈没時の大統領の「謎の7時間」として朴槿恵とチョンユンフェの密会記事が掲載された。

2014年11月 一般人のチョンユンフェが国政機密を入手していたと、世界日報がすっぱ抜いた。

Photo_2

解説


  前回に続いて、この解説も「もっとコリア」の記事を参照していただきたい。
母を失い、長く隠遁生活を強いられ、朴槿恵がそれから脱却をしていく過程を考えるうえで、チェ親子との関係は切り離すことができません。
 とくに、亡き母の為の陸英財団の運営を巡って、チェ親子の財団専横を非難されても、朴槿恵が彼らと袂を絶つことはありませんでした。むしろ彼女が国会議員、大統領への準備をする上でより強い関係、今から振り返ればインチキ霊能師親子による従属関係が完成していくときでした。


 そんな事件があっても、次第に彼女の周りには、政治的勝利を収めようとする人物たちが集まるようになります。その後大統領となる金大中、李明博にしても、彼女の存在を無視できなかったのです。

前編と後編に分けて、年表も挿入して紹介してきましたが、ここに書かれてある朴槿恵の足取りから、その後のセウォル号事件での「謎の7時間」の大統領への不信。かつての朴槿恵の影の実力者であるチョン・ユンフェ(チェ・スンシルの元夫)の国政介入事件、そして今回のチェ・スンシル国政介入事件の背景に、操り人形と化した朴槿恵の姿が見て取れるのではないでしょうか。

 

////////////////////////////////////////////////////////////////

 

もっとコリア

「朴槿恵大統領の秘線実勢(隠れた実勢力)だというチェ・スンシルはどんな人物ですか?(後編)

http://mottokorea.com/mottoKoreaW/QnA_list.do?bbsBasketType=R&seq=44478&pageNum=1

 

 

朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が側近に殺害された後、ファーストレディだった朴槿恵(パク・クネ)の境遇も悲惨になりました。

 

長年住んでいた青瓦台(大統領府)から出て行く朴槿恵に、当時保安司令官として最高権力を握った全斗煥(チョン・ドゥファン)から青瓦台の金庫にあった10億ウォンのうち、6億ウォンを受け取りました。当時人気があった江南大峙(テチ)洞のウンマアパートを30戸ほどを買う巨額で、兄弟が引越しした新堂(シンダン)洞の家も敷地99坪に建坪39坪の邸宅でした。

 

17代大統領選挙の過程で、このお金が問題に浮上すると、朴槿恵は生活費に使ったと釈明し、財産を社会に還元すると約束しました。しかし、当時朴槿恵姉弟は漠然としたはずです。胸が空っぽのように漠然としたでしょう。彼らの手から既に権力は漏れていきました。

 

政府や企業の要職から退いても世の中が終わった気分を感じるというのに、権力の座の外に押し出された若い姉弟の心情はいかがなものでしょうか? 朴槿恵の虚しさをそばで支えた人が、チェ・テミン(崔太敏)とチェ・スンシル(崔順実 )父娘でした。

 

チェ・スンシル氏は側近に、「人は義理が必要だ。私が今まで姉さんの隣で義理を守っているから、私がそれだけのものを受けているんじゃない」と言ったといいます。考えてみれば、朴正煕の死後、チェ・テミンの権力も消えたでしょう。朴槿恵とチェ・テミン父娘とのつながりであったセマウル奉仕団も198011月に強制解散しました。

 

チェ・テミンは全斗煥が指揮する合同捜査本部の捜査を受けた後、しばらくの間、江原道に追い出されたりもしました。

 

朴槿恵が陸英財団と嶺南(ヨンナム)大学を通じて活動を開始する際、チェ・テミン父娘も参加したのです。今日韓国社会で起こっていることが陸英財団ですでに行われたりもしました。陸英財団が運営する子ども会館でチェ・テミン父娘が権力を振り回すせいで紛乱が生じたのです。

 

『女性中央』(198710月)は、「チェ・テミンに優先報告をしてから理事長(朴槿恵)の決裁を受けられた」という財団職員の証言を盛り込んでいました。顧問の肩書きをつけたチェ・テミンと何の職責もないチェ・スンシルら、いわゆる「外部勢力」に対して、子ども財団の雑誌社の記者らがストライキして、従業員らが座り込みを繰り広げるようになりました。

 

朴槿恵の妹の朴槿令(パク・クンリョン)は、姉にチェ・テミンを財団から出て行かせろと言い、姉妹の仲がねじれましたね。姉が自分の話を聞く気配がなかったため、朴槿令は1990年に「本当に私たちの姉さんは、チェ・テミンに騙された罪しかありません。騙されている姉さんが可哀想です」という内容のA4用紙12枚分の長い自筆の嘆願書を送りました。

 

嘆願書で朴槿令は、「閣下夫妻が姉に会ってくだされば、この点をチェ氏が巧みに利用して私たちの姉を自身の手中に入れ、その強大な力をむしろ私たちの遺族弾圧に逆利用するだろう」と主張しました。

 

子ども財団の紛乱は、199011月に理事長職を朴槿令に渡す時まで続いたが、朴槿恵は理事長職から退きながら「私が誰かに操縦されているということは、私の人格に対する冒涜だ」とし、チェ・テミンの専横疑惑を否定しました。

 

2006年と2007年の聴聞会でチェ・テミンとその家族(チェ・スンシル)の不正行為についての質問にも、朴槿恵は「チェ・テミンが策略で苦境に追い込まれることは無念です」と答え、「私が難しい時期に私を助けてくれた人であり、そのことに感謝している。素晴らしい方だ」と庇護しました。このように、朴槿恵がチェ・テミンを徹底的にかばうため、朴槿恵とチェ・テミンの間に隠し子がいるという疑惑さえ複数回提起されました。

 

チェ・テミンはその後、自宅に蟄居して老衰で息を引き取ったが、彼の影が朴槿恵のそばに再び登場します。政治とは距離が遠いと思っていた朴槿恵が1998年に国会議員になり、チェ・スンシルの夫チョン・ユンフェ氏が朴槿恵の秘書室長として政界に現れたのです。チョン・ユンフェは、朴槿恵がハンナラ党代表になり、自分の意思が半分、他人の意志が半分で去る時まで「秘書室長」と呼ばれました。

 

チョン・ユンフェは、現在まで続いた朴槿恵の補佐陣を構成した秘線実勢(隠れた実勢者)と考えられたりもしましたが、実状はチョン・ユンフェも離婚した元妻チェ・スンシルの影に過ぎなかったわけですね。

 

過去2014年にチョン・ユンフェが国政に介入したという疑惑が強まり、青瓦台の文献を流出したという容疑で電撃逮捕されたパク・グァンチョン警正は、検察の調査で「私たちの国(韓国)の権力序列がどうなっているか知っていますか? チェ・スンシル氏が1位、チョン氏は2位で、朴槿恵大統領は3位に過ぎない」と一言言ったが、この話が外に流れ出て広く知れ渡りました。

チェ・スンシルの娘チョン・ユラがあらゆる特恵を享受し、乗馬大会に参加して準優勝に終わった後、チョン・ユラが出した嘆願をうまく処理できなかった、それだけの理由で、大統領から「真に悪い公務員」として、文化体育観光部の局・課長が更迭された。大統領が3位というのも納得のいくところです。

 

チェ・スンシルが権力序列1位に上がった秘訣は、父から受け継いだ夢占いと個人的親交、すなわち朴槿恵の母の死から始まる40年に及ぶ義理です。
朴槿恵大統領の周辺に漂うあらゆる疑惑は、この義理1つによって生まれ、この義理で大韓民国は非常に奇妙な国として墜落してしまったのです。

 

////////////////////////////////////////////////////////

参照

                北風と太陽

演出された世界日報のチェ・スンシル独占インタビュー

http://freedom-cult.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-df55.html

セウォル号とチョ・ウンチョン大統領府公職規律秘書官の公職追放

http://freedom-cult.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-10b1.html

チョン・ユンフェ国政介入事件と今回のチェ・スンイル事件は無関係ではない

http://freedom-cult.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-db24.html

韓国社会に垣間見る「疑似宗教」 ・・2016.10.31 korea news & joy

http://freedom-cult.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/20161031-korea-.html

2016年11月 2日 (水)

チェ・スンシル国政介入疑惑の背景(前編) 不正の始まりは朴正煕軍事政権時代

チェ・スンシル国政介入疑惑の背景(前編) 

Photo               朴正煕 朴槿恵 チェ・テミン

父・チェ・テミンの不正の始まりは 朴正煕軍事政権時代

 

             時代

1912年 崔順実(チェ・スンシル)の父・崔太敏(チェ・テミン)は黄海道                                          で生まれ、植民地時代に警察業務を遂行したといい、解放後、僧侶になったという。

 

1952年 2月 朴槿恵(パク・クネ)誕生

1956年 6月 崔順実(チェ・スンシル)誕生

 

1963年 12・16朴正煕軍事クーデター

 

1970年代初め 崔太敏(チェ・テミン仏教・キリスト教・天道教を総合しながら「永生教」を創始して教主になった。のちに、永生教の看板を下ろした。

 

1974年 8月 朴槿恵の母・陸英修暗殺される。チェ・テミンが朴槿恵に一通の手紙を送る。それが洗脳の始まり。

1975年4月 チェ・テミンが「大韓救国宣教団」を設立し、翌月に開催した「救国祈祷会」、6月の「大韓救国十字軍」創軍式などに朴槿恵が出席した。

 

1976年 朴槿恵はチェ・テミンがいくつかの団体を統合して設立した「セマウム奉仕団」の総裁となった。

 

1977年9月 チェ。テミンが、金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長の報告で朴正熙大統領から不正容疑などで直接尋問を受けるが、処理されず。

 

1979年6月 「第1回セマウム祭典」(行事でチェ・スンシル氏が朴槿恵に密着随行する姿が入った映像を公開されている。)

 

1979年 チェ・スンシルはドイツに留学

 

1979年10.26 朴正煕、金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長によって暗殺される。

金載圭中央情報部長は事件後に裁判所に提出した控訴理由補充書の「チェ・テミンの救国女性奉仕団と関連した令嬢の問題」という文書で、「この問題が10・26暗殺の動機のうち間接的だが重要なもの」と明らかにした。

/////////////////////////////////////////////////////

 

 

             解説

下手な私の解説よりも、ネットニュースの「もっと、コリア」が、母親を暗殺され、その心の寂しさに付け込んでゆくチェ・テミンのカルト的手法にも触れているので、紹介させて頂きたい。

それと、このレポートのもう一つ重要な点は、今の大統領府の機密漏えい事件よりも遥か前、すなわち朴槿恵の父・朴正煕が暗殺された1979年、逮捕された中央情報部長・金載圭(キム・ジェギュ)の大統領を殺したかった理由の一つが、チェ・テミンの不正をもみ消したことへの恨みもあったことが浮き彫りにされています。
今の日本の報道では、なかなかそこまでは取り上げられませんが、この事実を見る限り、当時弱小宗教だった統一教会やチェ・テミンの宗教が、社会的問題を起こしながらも生き延びてきている大きな要因は、反共救国の旗を掲げて朴政権はもちろん、その後の韓国の政権と深い関係を持つことができたからです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

紹介

もっとコリア

朴槿恵大統領の秘線実勢(隠れた実勢力)だというチェ・スンシルはどんな人物ですか?(前編)

Mottokoreasj11763


19796月の写真です。インターネット媒体NEWSTAPAが発掘した第1回「セマウル祭典」の資料写真には、李明博(イ・ミョンパク)、当時の現代建設社長も登場します。当時、韓国のファーストレディ役をしていた大統領令嬢に近づきたくてもどうしても接近できず、気をもんでいる表情です。

 

セマウル財団の朴槿恵(パク・クネ)総裁の横にぴったりはりついて恍惚と仰ぎ見る女子学生が羨ましかったのかもしれません。令嬢の隣の女子学生、彼女こそが最近、韓国社会に地震を起こしたチェ・スンシル(崔順実 / チェ・ソウォンに改名)です。チェ・スンシルが「セマウル大学生総連合会」の会長として行事を主管したため、至近距離で総裁を補佐することは当たり前だったのかもしれません。当時、朴総裁は27歳、チェ・スンシルは23歳でした。

 

セマウル大学生総連合会会長のチェ・スンシルは、檀国(タングク)大学1年生の女子生徒でした。当時、韓国で中下位圏に分類されていた檀国大学の学生、それも幼い女子学生がものすごい官職の冠を被ったのです。大統領の後ろに隠れて国政を壟断した実勢の力が、その時にも感じられますね。

 

幼い女子学生がどのような縁で大統領令嬢の目にかなうことになったのでしょうか。彼女の父親チェ・テミン(崔太敏)のおかげと言えます。

 

1974年、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領夫人の陸英修(ユク・ヨンス)が行事会場で銃で撃たれてこの世を去る前までは、チェ・テミンという名前は韓国政治史に登場していませんでした。母親を亡くした後、心に傷を負った朴槿恵に送ったチェ・テミンの手紙1枚が、韓国政治史に悲劇を追加する端緒になりました。

 

手紙は、夢で亡くなった令夫人を見た。娘をよろしくと頼んでいた」という内容のものでした。夢に現れたユク・ヨンスが、「私が死んだのは、私たちの娘をアジアの指導者として育てるためだと言ったという母の魂に憑依されたというチェ・テミンに、大統領令嬢はすっかり惹かれました。九重宮闕に出入りして権力者を魅了する宗教人、そのためチェ・テミンには「韓国のグリゴリー・ラスプーチン(Grigory Rasputin)」というニックネームがつきました。

 

チェ・テミンは一言でミステリアスな人物です。警察出身の彼は仏教の僧侶になったこともあり、カトリックの洗礼を受けたこともあるそうです。1970年代には、ソウルと大田(テジョン)一帯で難病を治療するというエセ宗教行為を行ったりもしました。仏教とキリスト教、カトリック教を総合したという教義でバンミンという偽名を使いながら、自らを「檀君」、「弥勒」と呼んだりもしました。

 

朴槿恵の信任を得た後は、それまで渉猟した宗教を捨てて牧師になりました。牧師から按手は受けましたが、牧師になるためのコースの1つである神学校に通っていた形跡は見受けられません。そのため巷では「金で牧師職を買った」という噂も出回りました。

 

生前に7つの名前を持っていた彼が、テミン(太敏)という最後の名前を使い始めたのもその頃です。名前だけでなく、彼には妻も多くいました。6人の妻から9人の子どもが生まれました。その中の5番目の妻を大事にし、その中でも5番目の娘チェ・スンシルが自分の現夢を受け継いだとし、寵愛したと言われています。

 

大統領令嬢の後ろだてを得たチェ・テミンは、強大な力を持つようになりました。新羅ホテルとロッテホテルで毎日、政・官・財界の人事に会い、請託も受けました。

 

公式的な肩書きが必要だったのか、「大韓救国宣教団」を発足して自ら総裁に就任しました。1975年に臨津江(イムジン川)で開いた祈祷会の行事には2000人の聴衆が集まった中、朴槿恵も参加しました。その場でチェ・テミンの即席提案により朴槿恵は名誉総裁に推戴されました。カトリック大学の西江(ソガン)大学を卒業した朴槿恵大統領が、プロテスタントとも縁を結ぶことになった場です。

 

その後、朴槿恵は救国宣教団の行事に頻繁に参加し、チェ・テミンに力を与えました。救国宣教団は1976年に救国奉仕団に、そして2年後には「セマウル奉仕団」に変わります。セマウル奉仕団は、朴槿恵がファーストレディの役割をしながら積んだキャリアの中の核心であるセマウル運動の本山の役割を引き受けることになります。

 

大統領令嬢の名前を売って回り、あらゆる利権に介入するため事情機関はこれを黙過できませんでした。中央情報部は「工事受注」、「将軍の昇進」、「国会議員公薦」などの名目で金を受け取り、公金を横領した44件の不正項目と複雑な女性関係が盛り込まれた文書を作成しました。

 

このような不正が明らかになりましたが、チェ・テミンに対する本格的な捜査はありませんでした。代わりに、現代社会では見ることが難しい不思議な裁判が行われました。朴正煕大統領が直接主管した親鞫(王が親しく尋問すること)が青瓦台大統領執務室で開かれました。

 

原告の資格で中央情報部長、弁護人の資格で朴槿恵が同席したのです。朴正熙はチェ・テミンが再び青瓦台の近所に出没できないようにし、複雑な女性関係の芽を取り除き、チェ・テミンを去勢させるように命令を下しました。このような命令を受けた人は、中央情報部長や事情責任者ではなく秘書室長でした。

 

秘書室長は大統領の気持ちを酌みました。なぜ私に? そっとしておいてくれという意味のようだと感づいたのでしょう。母親を亡くし、セマウル運動という活動に心を寄せる娘を不憫に思う大統領の心思を読んだのでしょう。

 

死んだ人が夢枕に立つようなチェ・テミンが、まさかそのような大統領の意中を読めなかったはずがありません。彼はどんなに悪いことをしても、司法当局に連れて行かれず、大統領に親鞫を受ける人物だと鼻高々だったことでしょう。父親チェ・テミンのそのような姿が、今日のチェ・スンシルからも伺えるということが悲劇です。

 

(後編に続く)

////////////////////////////////////////////////////////

 

« 2016年10月 | トップページ | 2016年12月 »