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2016年11月25日 (金)

2年前 世界日報にチョン・ユンフェ文書を流したのはチェ・スンシルだった!

 

連日、チェ・スンシルと朴槿恵大統領の関係が明らかにされていく中で、韓国WEBを見ていたら、2年前のチョン・ユンフェ国政介入事件について真相に迫る記事が出ていた。この事件当時、大統領府から機密文書の受け渡しにかかわっていたのではないかという大統領府の二人の警緯がいたのだが、一人は検察の取り調べ直後に自殺している。これによって真実は彼が墓場まで持って行ったかの如く見えていたが、生き残ったもう一人の警緯の証言が真相を明らかにした。

今まで私の入手した情報と合わせてまとめてみた。


チェ・スンシルとチョン・ユンフェは今、梨花大学への裏口入学で問題となっているチョン・ユラの両親でもある。


チョン・ユンフェは朴槿恵の議員時代から秘書として支えてきた人物であるとされているが、この間の報道で彼の背後にチェ・スンシルがいたことが明らかとなった。
ところが、夫婦仲が拗れ2014年5月に離婚となるのだが、離婚してもチョン・ユンフェが朴槿恵の陰の相談役(朴槿恵が大統領になるときに、彼ら夫婦および、チェ・スンシルの父チェ・テミンの過去の不正が暴かれ、彼は政治の表から姿を消したので、陰の存在となったのである)として動いていたことに対して、チェ・スンシルが怒って、彼を抹殺しようとして、世界日報に「チョン・ユンフェ文書」なるものを流したというのである。

たまたま、世界日報のオーナーである統一教は当時、文鮮明の相続税の不正や横領情報に基づき、税務当局が査察に入ろうとしていた時だけに、結果として11月にこのチェ・スンシルからの情報を流したことによって、査察を押しとどめることに成功したのである。

「チョン・ユンフェ文書」事件の発端はチェ・スンシルの妬みであったという事実に驚くとともに、その結果チェ・スンシルが最も守らなければならなかった朴槿恵を窮地に追いやることになるとは、彼女の頭脳では計算できなかったのであろう。

 

利権でしか人間関係、社会、政治を見られないチェ・スンシルという人間が、結果としてチョン・ユンフェ国政介入事件をでっち上げ、セウォル号の空白の7時間、チェ・スンシル国政介入事件と・・・韓国政治に大きな混乱と空白を作ってしまった。

そこに自らの利害を絡ませて一役買ってしまったのが統一教の世界日報だということ。


この事実を覆い隠そうと、韓鶴子が考えたのが、日韓トンネルの旗を振りである。この問題でわざわざ最近来日しているのである。

日韓トンネルは信者からみれば、金銭強奪トンネル、詐欺トンネルだともいわれている代物である。

 

チェ・スンシルの共謀者 [ 追跡 ] 2016.11.20 special economy金日英記者

http://www.speconomy.com/news/articleView.html?idxno=75281

より一部抜粋。以下機械訳

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

正閠会(チョンユンフェ)除去作戦

 

去る9日放送されたTV組ではトークショー「強敵」でカン・ミング弁護士はこのように話した。

実は、チョン・ユンフェ文書問題を起こした人物がチェ・スンシルでした。今回チェ・スンシルがドイツでインタビューした報道機関が世界日報です。二者はとても親しい関係です。その当時(チョン・ユンフェ文書問題が出た時点)はチョン・ユンフェとチェ・スンシルが離婚した時と重なり、犬猿の仲だったのです。チョン・ユンフェがパク・クネ大統領の陰で支えていることに対して、チェ・スンシルが許せなかったのです。 それでチェ・スンシルがチョン・ユンフェを除去するために文書問題を出し、波乱を起こしたのです。当時チェ・スンシルは調査も受けなかったのです

 

チェ・スンシル国政介入に先立ち去る201411月世界日報は単独で「チョン・ユンフェ文書」を報道して大統領府を恐怖のどん底に陥れた。

 

先月26日になって、世界日報はドイツ現地でチェ・スンシルを単独でインタビューした。その時、在米ジャーナリストであるアン・チヨン(安置用)氏は自身のブログ「シークレットオブコリア」を通じて、チェ・スンシルさんのインタビューを斡旋した人物が統一教ヨーロッパ総裁を永らく勤め、世界日報元社長のS氏だと明らかにした。

 

そしてカン・ミング弁護士の言及のとおりチェ・スンシルさんとチョン・ユンフェは20145月離婚していた。

 

すなわち、チェ・スンシルとチョン・ユンフェは20145月離婚をし、その間チョン・ユンフェがパク大統領の最も近い相談役であったことに対して、チェ・スンシルが許せなかったのである。そしてついに、チェ・スンシルは世界日報にチョン・ユンフェ文書を流して除去作戦に出たのである。

 

検察捜査介入…ウ・ビョンウ主導

 

三つ目の問題は、チョン・ユンフェ文書事件を収拾する過程である。

チョン・ユンフェ文書事件が問題化し大統領府は驚いた。 その間政界内外で出回った陰の実力者の正体が、まさに文書形態とあらわれる瞬間だった。

 

当時ウ・ビョンウ民政秘書官の主導でチョン・ユンフェ文書事件を収拾する過程で大統領府民政秘書官室がチョン・ユンフェ文書問題の被疑者を懐柔したという主張が提起された。

去る11日、中央日報はチョン・ユンフェ文書事件の被疑者であった一日前経緯とのインタビュー内容を報道した。

あるチョン警偉はインタビューで

「チョン・ユンフェ文書流出にかかわったとして捜査を受ける際、大統領府民政秘書官室の懐柔があった」として「2014128日大統領府民政秘書官室P行政官が連絡してきて「文書をチェ・ギョンナク警偉(チョン・ユンフェ文書事件で自殺)に渡したと述べれば不起訴も可能だ」として協力を勧めた」

と打ち明けた。

 

あるチョン警偉は引き続き「すぐに前日当てられた検察の押収捜索の時提出した私の携帯電話に保存された内容をその(P行政官)が知っていた」と明らかにした。

これはウ・ビョンウ秘書官が主導で民政秘書官室が検察の報告を受けて捜査に介入したと解釈される大きな問題である。

 

ウ・ビョンウ秘書官はこの事件を収拾した後、抗命波動を退いたキム・ヨンハン民政首席(去る8月死亡)の席を繋いで受けて大統領府民政首席になった。

 

それなら当時民政秘書官に過ぎなかったウ・ビョンウ秘書官が、どのような方法でチョン・ユンフェ文書事件の収拾を主導できたのだろうか。

キム・キチュン秘書室長は当時民政首席であるキム・ヨンハン主席に指示を与えないでウ・ビョンウ秘書官で直接指示を与えたという。

 

ウ・ビョンウ秘書官もチョン・ユンフェ文書事件を収拾する過程で自身の直属上官であるキム・ヨンハン主席を排除してキム・キチュン秘書室長に直接報告したという。

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参照

 

北風と太陽 20141213 ()

いかに情報は世界日報に渡ったのか・・チェ某警部の死により迷宮入りか(チョン・ユンフェ文書流出事件)

http://freedom-cult.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-215a.html

 

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