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2016年11月 4日 (金)

チェ・スンシル国政介入疑惑の背景(後編) 隠遁生活から大統領の道へ

チェ・スンシル国政介入疑惑の背景(後編) 隠遁生活から大統領の道へ

 

時代

 

1981年9月 全斗煥政権誕生。政権の朴正煕の足跡を消す方針の下で、朴槿恵は隠遁生活を余儀なくされる。

 

1985年 チェ・スンシルドイツから帰国。陸英財団理事長だった朴大統領と再会。江南区(カンナムグ)、狎鴎亭洞(アックジョンドン)と新寺洞(シンサドン)で学院(塾)と幼稚園、児童教育関連社説研究所を運営し始めた。

 

1987年 国立墓地で故朴正煕の追悼式が開かれた。

 

1988年 盧泰愚政権誕生

 

1988年 朴正熙・陸英修記念事業会発足

 

1989年 朴正熙死亡10周忌追悼行事を15万人が参拝する大々的な規模で行った

 

1989年 朴槿恵はチェ・テミンと一緒に陸英修を追慕する団体‘槿花奉仕団’を組織し、一時は全国で70万人を組織。

 

 1990年 朴正熙の業績を描いた<民族の指導者>が出版される。

 

チェ・テミンが子供会館の敷地にグンファウォン(槿花院)を建てグンファ教会を立てたと伝えている。この「槿」は朴槿恵の「槿」と同じ漢字(ムクゲ)を使っている。

 

 1990年8月 朴槿恵の妹と弟が、チェ・テミンとチェ・スンシル親子による陸英財団の専横を問題視し、妹の槿令氏は「詐欺師のチェ・テミンを厳罰し、チェ・テミンに洗脳された姉の朴槿恵を元国家元首遺族保護レベルで救出してほしい」という内容の嘆願書を盧泰愚大統領に提出した。調査によりチェ・テミンの横領発覚で育英財団混乱。朴槿恵、理事長職を辞任。

 

1993年 金泳三政権誕生

 

1994年 チェ・テミン、慢性腎不全で死去。

 

1997年 朴槿恵 イ・フェチャン新韓国党大統領選挙候補の選挙対策委員会顧問に任命される。

 

当時、朴槿恵はいとこの義兄であり朴正熙の‘同志’であったキム・ジョンピルではなく、新韓国党を選んだ。キム・ジョンピルの自民連には母方のおじ(ユク・インス)もいたし、朴正熙秘書室長出身のパク・テジュンもいた。それでも朴槿恵は自民連の誘いには乗らなかった。 多くの父の側近が裏切り、全斗煥新軍部に向かった時代に対する朴槿恵なりの返答だった。 当時キム・ジョンピルとパク・テジュンの「朴正熙の業績を継承する」という話に、朴槿恵はこのように応酬した。 「私は、父と国民が国の基礎を固めようと努める姿をそばで見守った。 しかし1980年代に入って父の業績が歪曲された時、私は沈黙したが、時代に便乗し私を罵倒した人々からの話は、自分たちの利益第一だけで、信じることはできない。」

 

1998年 金大中政権誕生

 

1998年 朴槿恵国会議員再・補欠選挙で当選。このとき、チェ・スンシルの夫・チョン・ユンフェが朴槿恵の側近として登場。

 

 2002年 パク候補が当時ハンナラ党を離党して韓国未来連合を創党、総裁に就任した。チョン・ユンフェは総裁秘書室長に就任。

 

2003年2月 廬武鉉政権誕生

 

2004年 朴槿恵、ハンナラ党の代表になるが、そのとき、チョン・ユンフェが去る。側近3人組の登場・李在万(イ・ジェマン)、チョン・ホソン、アン・ボングン補佐官。

 

2007年 ハンナラ党大統領候補党内選挙でチェ・テミンの疑惑との関係で、チェ・テミンの娘婿チョン・ユンフェがチェ家の財産形成において朴槿恵の陸英会理事長時代に便宜を図った疑いも出てきた。

 

2008年 李明博政権誕生

 

2013年 朴槿恵政権誕生

2014年2月 チェ・スンシルとチョンユンフェ離婚

2014年4月 セウォル号大惨事

2014年8月 セウォル号沈没時の大統領の「謎の7時間」として朴槿恵とチョンユンフェの密会記事が掲載された。

2014年11月 一般人のチョンユンフェが国政機密を入手していたと、世界日報がすっぱ抜いた。

Photo_2

解説


  前回に続いて、この解説も「もっとコリア」の記事を参照していただきたい。
母を失い、長く隠遁生活を強いられ、朴槿恵がそれから脱却をしていく過程を考えるうえで、チェ親子との関係は切り離すことができません。
 とくに、亡き母の為の陸英財団の運営を巡って、チェ親子の財団専横を非難されても、朴槿恵が彼らと袂を絶つことはありませんでした。むしろ彼女が国会議員、大統領への準備をする上でより強い関係、今から振り返ればインチキ霊能師親子による従属関係が完成していくときでした。


 そんな事件があっても、次第に彼女の周りには、政治的勝利を収めようとする人物たちが集まるようになります。その後大統領となる金大中、李明博にしても、彼女の存在を無視できなかったのです。

前編と後編に分けて、年表も挿入して紹介してきましたが、ここに書かれてある朴槿恵の足取りから、その後のセウォル号事件での「謎の7時間」の大統領への不信。かつての朴槿恵の影の実力者であるチョン・ユンフェ(チェ・スンシルの元夫)の国政介入事件、そして今回のチェ・スンシル国政介入事件の背景に、操り人形と化した朴槿恵の姿が見て取れるのではないでしょうか。

 

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もっとコリア

「朴槿恵大統領の秘線実勢(隠れた実勢力)だというチェ・スンシルはどんな人物ですか?(後編)

http://mottokorea.com/mottoKoreaW/QnA_list.do?bbsBasketType=R&seq=44478&pageNum=1

 

 

朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が側近に殺害された後、ファーストレディだった朴槿恵(パク・クネ)の境遇も悲惨になりました。

 

長年住んでいた青瓦台(大統領府)から出て行く朴槿恵に、当時保安司令官として最高権力を握った全斗煥(チョン・ドゥファン)から青瓦台の金庫にあった10億ウォンのうち、6億ウォンを受け取りました。当時人気があった江南大峙(テチ)洞のウンマアパートを30戸ほどを買う巨額で、兄弟が引越しした新堂(シンダン)洞の家も敷地99坪に建坪39坪の邸宅でした。

 

17代大統領選挙の過程で、このお金が問題に浮上すると、朴槿恵は生活費に使ったと釈明し、財産を社会に還元すると約束しました。しかし、当時朴槿恵姉弟は漠然としたはずです。胸が空っぽのように漠然としたでしょう。彼らの手から既に権力は漏れていきました。

 

政府や企業の要職から退いても世の中が終わった気分を感じるというのに、権力の座の外に押し出された若い姉弟の心情はいかがなものでしょうか? 朴槿恵の虚しさをそばで支えた人が、チェ・テミン(崔太敏)とチェ・スンシル(崔順実 )父娘でした。

 

チェ・スンシル氏は側近に、「人は義理が必要だ。私が今まで姉さんの隣で義理を守っているから、私がそれだけのものを受けているんじゃない」と言ったといいます。考えてみれば、朴正煕の死後、チェ・テミンの権力も消えたでしょう。朴槿恵とチェ・テミン父娘とのつながりであったセマウル奉仕団も198011月に強制解散しました。

 

チェ・テミンは全斗煥が指揮する合同捜査本部の捜査を受けた後、しばらくの間、江原道に追い出されたりもしました。

 

朴槿恵が陸英財団と嶺南(ヨンナム)大学を通じて活動を開始する際、チェ・テミン父娘も参加したのです。今日韓国社会で起こっていることが陸英財団ですでに行われたりもしました。陸英財団が運営する子ども会館でチェ・テミン父娘が権力を振り回すせいで紛乱が生じたのです。

 

『女性中央』(198710月)は、「チェ・テミンに優先報告をしてから理事長(朴槿恵)の決裁を受けられた」という財団職員の証言を盛り込んでいました。顧問の肩書きをつけたチェ・テミンと何の職責もないチェ・スンシルら、いわゆる「外部勢力」に対して、子ども財団の雑誌社の記者らがストライキして、従業員らが座り込みを繰り広げるようになりました。

 

朴槿恵の妹の朴槿令(パク・クンリョン)は、姉にチェ・テミンを財団から出て行かせろと言い、姉妹の仲がねじれましたね。姉が自分の話を聞く気配がなかったため、朴槿令は1990年に「本当に私たちの姉さんは、チェ・テミンに騙された罪しかありません。騙されている姉さんが可哀想です」という内容のA4用紙12枚分の長い自筆の嘆願書を送りました。

 

嘆願書で朴槿令は、「閣下夫妻が姉に会ってくだされば、この点をチェ氏が巧みに利用して私たちの姉を自身の手中に入れ、その強大な力をむしろ私たちの遺族弾圧に逆利用するだろう」と主張しました。

 

子ども財団の紛乱は、199011月に理事長職を朴槿令に渡す時まで続いたが、朴槿恵は理事長職から退きながら「私が誰かに操縦されているということは、私の人格に対する冒涜だ」とし、チェ・テミンの専横疑惑を否定しました。

 

2006年と2007年の聴聞会でチェ・テミンとその家族(チェ・スンシル)の不正行為についての質問にも、朴槿恵は「チェ・テミンが策略で苦境に追い込まれることは無念です」と答え、「私が難しい時期に私を助けてくれた人であり、そのことに感謝している。素晴らしい方だ」と庇護しました。このように、朴槿恵がチェ・テミンを徹底的にかばうため、朴槿恵とチェ・テミンの間に隠し子がいるという疑惑さえ複数回提起されました。

 

チェ・テミンはその後、自宅に蟄居して老衰で息を引き取ったが、彼の影が朴槿恵のそばに再び登場します。政治とは距離が遠いと思っていた朴槿恵が1998年に国会議員になり、チェ・スンシルの夫チョン・ユンフェ氏が朴槿恵の秘書室長として政界に現れたのです。チョン・ユンフェは、朴槿恵がハンナラ党代表になり、自分の意思が半分、他人の意志が半分で去る時まで「秘書室長」と呼ばれました。

 

チョン・ユンフェは、現在まで続いた朴槿恵の補佐陣を構成した秘線実勢(隠れた実勢者)と考えられたりもしましたが、実状はチョン・ユンフェも離婚した元妻チェ・スンシルの影に過ぎなかったわけですね。

 

過去2014年にチョン・ユンフェが国政に介入したという疑惑が強まり、青瓦台の文献を流出したという容疑で電撃逮捕されたパク・グァンチョン警正は、検察の調査で「私たちの国(韓国)の権力序列がどうなっているか知っていますか? チェ・スンシル氏が1位、チョン氏は2位で、朴槿恵大統領は3位に過ぎない」と一言言ったが、この話が外に流れ出て広く知れ渡りました。

チェ・スンシルの娘チョン・ユラがあらゆる特恵を享受し、乗馬大会に参加して準優勝に終わった後、チョン・ユラが出した嘆願をうまく処理できなかった、それだけの理由で、大統領から「真に悪い公務員」として、文化体育観光部の局・課長が更迭された。大統領が3位というのも納得のいくところです。

 

チェ・スンシルが権力序列1位に上がった秘訣は、父から受け継いだ夢占いと個人的親交、すなわち朴槿恵の母の死から始まる40年に及ぶ義理です。
朴槿恵大統領の周辺に漂うあらゆる疑惑は、この義理1つによって生まれ、この義理で大韓民国は非常に奇妙な国として墜落してしまったのです。

 

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参照

                北風と太陽

演出された世界日報のチェ・スンシル独占インタビュー

http://freedom-cult.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-df55.html

セウォル号とチョ・ウンチョン大統領府公職規律秘書官の公職追放

http://freedom-cult.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-10b1.html

チョン・ユンフェ国政介入事件と今回のチェ・スンイル事件は無関係ではない

http://freedom-cult.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-db24.html

韓国社会に垣間見る「疑似宗教」 ・・2016.10.31 korea news & joy

http://freedom-cult.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/20161031-korea-.html

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