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世界経典

2016年11月 9日 (水)

世界経典の編集委員に「強姦罪」実刑判決 台湾最高裁 2016/10

Photo                        強姦罪で実刑の判決を受けた馮滬祥元議員


 

世界経典Ⅰ英語版 40人の編集委員より一部引用

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.Fung Hu-hsiang

 Professor of Philosophy and Dean College of Liberal Arts National Central University 

Taiwan, Republic of China (Confucianism)

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フィン フーシング(馮滬祥)

リベラルアーツ国立中央大学 哲学教養学部の教授

台湾、中国共和国(儒教)

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1991年に発刊された世界経典には、編集委員として、仏教学者、バチカンの聖職者、ヒンズー教の研究者など40名の名前が連ねてある。

その中の一人、台湾の馮滬祥氏、世界経典では儒教の教授と紹介されていたが、その後議員となり、台湾の副総裁候補として名声を得るようになった。

ところがである、フィリピン人のメイドへの強姦事件が発生し、この10月に最高裁で4年と4か月の懲役刑が確定した。

台湾ニュース 2016.10.09

元議員に従業員への強姦で有罪判決

http://www.taipeitimes.com/News/taiwan/archives/2016/10/09/2003656807


文鮮明と同じ道をたどったこの先生。ウィキペディアにヒットするような先生だが、原理も学んだと経歴にあるにも関わらずこの体たらく!

世界経典の中に仏教、儒教の禁欲主義について文鮮明も称賛していると書かれてあったが、この馮滬祥氏、編集委員で儒教を紹介しながら、結果としては人間の業には勝てなかったようだ。

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参照

『世界経典』出版奉献(一九九一・八・一五、出版)より引用

宗教一致運動の結実体と言うことができる『世界経典』が、一九九一年八月十五日に発刊され、八月二十七日、「世界平和宗教連合」創設大会に参席した宗教指導者と世界の碩学の前で紹介され、真の御父母様に奉呈された。世界各宗教の経典の真髄を選んで集大成した『世界経典』は、一九八五年、真の御父母様によって初めて構成され、アンドリュー・ウィルソン博士(アメリカ、統一神学大学院)が四十人の編集委員と共に、五年間にわたって仏教学者、バチカンの聖職者、ヒンズー教の学者の研究と協助を受けて出版した。総九百十匹ページ。

2016年9月19日 (月)

「世界経典」の真実 ②世界経典誕生の時代的背景

001mail

                                      世界経典(韓国語版1994)

 

そもそも「世界経典」って何ぞや?ということになると、恐らく家庭連合(世界平和統一家庭連合・旧統一教会)の信者でも名前は知っている、また購入したとしても読んだことない人の方が圧倒的に多いはずである。

 

この本、家庭連合の八大教材教本のうちの一冊である。八大というからには、信者必読の書とも思えるのだが、実はこの本は韓国語版しか手に入らないのである。他の7冊は日本語を含めく多くの言語で翻訳本が出されているようである。

 

その意味で違和感を覚え、何か日本社会に隠したいことがあるのではと勘繰りたくなるような衝動を覚え、ついに韓国語版をある方からお借りしてしまったのだ。

この本の内容については後日まとめたい。・・・・とはいうものの、私は韓国語が分かりませんので、後日がいつになるか・・・。

自分でも無謀な記事を書き始めてしまったと少し後悔はあるものの、なにがでてくるか、その期待感の方が上回っている状況。

 

とりあえず、今日はその時代背景について書いてみることにする。発刊されて4半世紀も経っているので、ネット情報をまとめながら、当時の世界情勢を見てみたい。

とりあえず、発刊された当時の年表を作ってみた。

 

1979    故松下正寿氏を社主とし「宗教新聞」創刊

1982.11.10 ブレジネフ死亡(1966フルシチョウフ失脚後、16年間ソ連邦のトップ)

1985.03   ゴルバチョフがソ連邦書記長に就任

1985    米、ニュージャージー州にて第1回宗教者会議 85か国600人参加

1989.06.18 ポーランド人民共和国解体

1989.10.23 ハンガリー人民共和国終焉

1989.12.15 ルーマニア共産党最高指導者チャウシェスク処刑

1990.04.11 文鮮明モスクワでゴルバチョフと対談

1990.07.27 池田大作がゴルバチョフと対談

1990.08   2回宗教議会で世界平和宗教連合創設の提唱

1990.10.03 東西ドイツ統一

1991 ブルガリア共産勢力衰退

1991.08.15 「世界経典」出版

1991.08.27 世界平和宗教連合がソウル・リトルエンジェルス芸術会館にて創設大会

1991.08.28 ソ連共産党活動停止

1991.09.17 アジア平和女性連合第1会大会

1991.12.06 文鮮明が金日成公館にて金日成と会談

1991.12.25 ソ連邦崩壊

1992     ソウルで開催された合同結婚式に桜田淳子、山崎浩子が参加

19992.09.  オウム真理教モスクワ支部開設

 

欧州の共産国の解体と東西ドイツの統一、ソ連邦の衰退が重なり合った時代を背景として、1991年世界経典は出版されている。

 

世界経典は5年がかりで、統一教会の学者やバチカンの聖職者、ヒンズー教、仏教学者ら40名が編纂に加わり作られたというから、恐らく1985年の米・ニュージャージー州で開催された宗教者会議が発端であったと考えられる。

1985
年という時代背景を考えると、83年にソ連のブレジネフ書記長が死亡しその後書記長が点々と交代していくというソ連にあっては不安定な時期であった。

85年にゴルバチョフが登場し、ペレストロイカ路線で安定要素が生まれてきたかに見えたが実情は経済政策どころか内部抗争で不安定極まりない状況であったようだ。

1990年に文鮮明はソ連邦のゴルバチョフ書記長と対談しているが、その後の統一教会の動きを見ると、彼らの統一運動場上の戦略のワンシーンだったと推察できる。

 

91815日に世界経典の出版セレモニーが開催され、827日には世界平和宗教者連合会が24か国120人聖職者の参加で結成されている。そこでは世界経典が世界宗教の普遍的価値が集大成されたものだと紹介され、宗教界の統一によって、世界平和が到来すると語られた。

すなわち、世界経典は彼らのいう統一運動を支えるうえで基礎となる本であったはずなのである。それなのに、韓国語版だけとは・・・・

 

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参照

真の御父母様の生涯路程9 

(「世界平和宗教連合」創設大会・「世界経典」出版奉献)

http://furuta65.fc2web.com/001/syougairotei_9/006.html

 

2016年9月18日 (日)

「世界経典」の真実 ①序奏 死んだらどうなる

Photo

     (宗教は登山口は違っても、頂上は同じ・・・マハトマ・ガンディー)

序奏 死んだらどうなる

・・・・有神論、無神論に関わらず同じ状態だと私は思う。

こういうことを書くと、物的には同じでも、霊的にも同じだ、違うのだといろいろ言われる方もおられる。 論争しても霊的世界は検証できない世界なので、何も生み出さない。

むしろ、どう生きるかを議論した方が、実りは大きいと思っていた。

しかし、社会的問題のある宗教は、死後の世界の議論を放置するどころか、霊界、地獄の世界の作り話をまことしやかに説明し、先祖の因縁などで呪縛の奴隷的精神を作り上げ、結果、信じた人の理性的判断を奪う。

であるがゆえに、一歩踏み込んで考えてみたい。

死んだらどうなるという質問に対して、宗教に対する信仰がなくとも、「神のみぞ知る」と答える人の中には、私のように138億年前のこの世界の始まりに関わった物理現象の何か、未だ解明されていないが少しづつ解明されつつあるところの何か、それを「神」と呼んでいる人もいるのではないだろうか。
それは霊的なものを持たない存在として「何か」を「神」として表現しているに過ぎない。それは、未だ解明途中の唯一の真理のあるところ。

新興宗教の中でもカルトと言われる宗教の教義は、このことを物的世界だけではなく、霊的世界の真理として信じこませてしまう。

既成宗教に魅力を感じなくなった人々は、そこに、大きな罠が仕掛けられているとも知らず信じてしまう。

なぜ既成宗教に魅力を感じないのか。とくに仏教においてはその傾向は顕著ではないだろうか。「葬式仏教」とまで揶揄されまでに至っている。アマゾンで坊さんの検索ができるところまで来てしまった。

宗教には、いろいろな死後の世界がある。それぞれの信者は自らが信じた宗教の死後の世界に行くとしている。

しかし、死んだらどうなるかの答えに、それぞれが検証できない死後の世界を解説したとしても、客観的にみればバラバラである。

インドのガンジーは、宗教についてそれぞれ登る入り口は違っていても、頂上は同じだということを言っている。

頂上とは死後の世界であると考えるならば、登山口はいろいろな場所に人間が勝手に作ることができるが、山頂は宗教の割り込む余地はない、山頂は唯一つであるとガンジーは説いたのである。

そこに、付け込んだのが世界の宗教の統一を掲げた「世界経典」である。


つづく